ひとりのミュージシャンがBlenderに出会うまで
はじめまして、映像ディレクター/VFXアーティストの涌井 嶺です。僕は「THE SIXTH LIE」というバンドにドラマーとしても所属しており、かねてからAfter EffectsやPremiere Proを使って自分のバンドのMVを自主制作してきました。
そんな僕がBlenderに出会ったのは2019年の秋、ちょうど2.8がリリースされた直後だったと思います。自分のバンドの新曲MVを、曲に負けない壮大なテーマの映像にしたいという想いから、それまで挑戦したことのなかった3DCGの世界に足を踏み入れました。
今回紹介する映像は、その3DCG初挑戦MV「Everything Lost」です。
本編
メイキング
メイキングを見るとわかるように、MVは人物と楽器のみグリーンバック撮影し、3DCGで制作した背景との実写合成を行っています。撮影はグリーンバックの前で3時間くらいで終えたので、かなり簡易的でした。その後Blenderの勉強も兼ねて、最初のシーンを自分の納得いくまで作り直す日々が半年ほど続き、結局完成したのは撮影から1年半後でした。
この記事では、このMVを作ったきっかけや突破したかったポイントについて話していけたらと思います。
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MVの制作経緯
まず、MVの制作経緯についてです。この曲のMVを作ろう、という話になったとき、楽曲の壮大なサウンドスケープや「全てを失っても」という歌詞のテーマに負けないように、「映像もスケールの大きいものにする必要がある」と考えました。
それまでもAfter Effectsを使った実写合成のMVは作ったことがあったので、VFXメインの映像で行こうということはすんなり決まりましたが、いわゆる 「合成っぽさ」や「CGっぽさ」といったチープな質感が出ないようにしたい という話がメンバーから出ました。それを受けて、After Effectsだけだとどうしても表現が難しいと考え、以前から使ってみたかった3DCGソフトを使おうと思い立ちました。
ビルが崩壊するシーン
その頃ちょうどBlenderはバージョン2.8がリリースされ、UIの刷新やリアルタイムレンダラEeveeの登場により盛り上がっていました。確かIan Hubert氏のチュートリアルをYouTubeで見つけ、このやり方なら自分も出来るかも、しかもソフトはオープンソースで基本無料だし、ということで即インストールして使い始めた記憶があります。使ってみて、すぐに「このソフトは数年後に覇権を獲るだろうな」と感じました。
トラックマーカーを使ったマッチムーブなどもやったことがありませんでしたが、見切り発車での撮影を終え、長い制作期間に入りました。制作中もBlenderはどんどんアップデートされ、最初はできなかったことができるようになっていくこともありました。
「合成っぽさ」と戦ったワークフロー
制作開始から半年、とにかく 「合成っぽさ」を排除する ためにいろいろなことを試しました。最終的に行き着いたのは以下のようなワークフローでした。
まずAfter Effectsを使い、撮影したグリーンバック素材の緑色の部分を消して人物だけを抜く作業「キーイング」を行います。次にBlender上で3Dシーンを制作し、そこにキーイングしたフッテージを配置して、そのシーンを仮想の3Dカメラで「撮る」ことで映像にしています。
自分がやってみて、このワークフローの中で「合成っぽさ」をなくすために必要なポイントは以下の2つであると感じました。
①キーイング
②ライティング
まず①キーイングについて。人物の抜けが甘いと、視聴者の目はすぐ合成であることに気付きます。特に顔回りは目が行きやすいので、丁寧に行いました。苦労したのはドラムのシンバルやシンバルスタンド、その他の楽器の金属部分で、反射してほとんど緑色になっているため、マスクを切る作業が全体の作業時間の1/3くらいを占めていたような気がします。
シンバルのロトスコーピング
最近は撮影の仕方も慣れてきたので、なるべくキーイングやカメラトラッキングの工数が減るように工夫して撮影することができるようになってきました。
次に②ライティングです。撮影のときは全て同じライティングで撮っているので、3DCGのシーン上でもそのライティングに合わせないと違和感が生まれます。全体に逆光ぎみのシーンが多いのは、撮影のときに人物の両サイド後ろ側から照明を当てたので、その影響です。
特にサビなどで登場する屋上のシーンは、室内で撮った映像を屋外に合成しているので難易度が高かったです。
レンダラの使い分け
このようにして作ったシーンを最後にレンダリングするのですが、Blenderには主に2種類のレンダラがあります。一つはリアルタイムレンダラのEeveeで、リアルな表現をするためにはいろいろな調整が必要ですが、レンダリングが高速であることが特長です。もう一つはCyclesで、簡単にリアルな表現をすることができますが、レンダリングには長い時間を要することが多いです。
このMVに関しては、リアルな表現を追求するためにCyclesでレンダリングを行ったのですが、数秒のシーンに一晩掛かったり、修正が出たときにレンダリングしなおすのが大変だったりと、そういった部分でも制作に時間がかかってしまいました。
このMVが完成した後、ありがたいことに3DCGと実写合成のMV案件をお受けすることが多くなりました。最近はEeveeを用いてリアルなシーンを制作できるようになってきたため、特別なことがない限りはEeveeで制作しています。また、「Everything Lost」を作った時よりもEeveeは進化し、深度ボケが綺麗になったり、モーションブラーが付けられるようになるなど、かつては到達できなかったクオリティのものが作れるようになってきました。
余談ですが、Cyclesも同時に進化しており、Blender 3.0で登場予定のCycles Xはレンダリング時間がこれまでのおよそ2倍になるなど、2つのレンダラは互いに歩み寄るように進化しています。
Eeveeでの実写合成が可能になると、シーンの重さにもよりますが総尺4分くらいのMVのレンダリングを、数時間で終えることができるようになります。これによって、今までレンダリングしてみないと完成形がわからなかったものが、ビューポート上でサクサク確認できるようになり、より映像制作向けのCG制作が可能になってきました。
実写合成で、音楽表現の限界を超える
と、ここまでBlenderを使った実写合成の技術的な面について書いてきましたが、ここからは なぜ僕がこんなに実写合成に魅力を感じているのか ということについて書きます。
僕は音楽を表現するアーティストでもあり、映像作家でもあります。アーティストやファンの目線に立ったときに、やはり歌や演奏を披露するアーティストのビジュアルを映したMVというのは、嬉しいものだと思います。ただ、最近は音楽制作や映像制作のハードルが下がったことで、誰でも楽曲を発表したりMVを公開したりできるようになりました。
そんな中で、アーティストが映るMVというのはどんどん当たり前のものになっていき、より多くの人に見てもらい、本来の「楽曲のプロモーション」という目的を果たすためには、MVに何かしらの「付加価値」をつけることが必要な時代 になってきました。
近年のアニメMVの流行や、有名なイラストレーターを起用したMVの増加などは、付加価値が付きやすいことが理由だと思います。分かりやすくいうと、そのMVがネットニュース等に取り上げられたときに見出しを書きやすいものが、引きのある「付加価値」と言えるでしょう(「話題のイラストレーター○○が制作したMV」「制作に○千万円掛けたMV」など)。
そう考えたときに、「アーティストがちゃんと映る」「表現の限界を取っ払える」という実写合成MVは、映像に付加価値を与えるのにぴったりだと思うのです。
僕が最近行った実写合成MVのお仕事で、手越祐也さんが歌うゲームタイトルのテーマソングとして、ご本人がゲームの世界の中で歌うというものがありました。
「手越さんご本人のビジュアルや、歌っている姿が見たい」というファンの気持ちと、「ゲームの世界を表現したい」という表現の限界を両方クリアするには、フル3DCGでもなく、実写のみでもなく、実写と3DCGの合成がピッタリでした。
冒頭に紹介した「Everything Lost」では、実写だけでは出来なかった「楽曲の壮大なテーマの表現」をすることができました。このような実写合成が個人レベルの作業量でできるようになっていけば、それによって音楽で表現している内容を、映像が限界を超えてバックアップできるようになるでしょう。
また、撮影後に3DCGソフト上でああでもない、こうでもないとシーンやライトを組んでいく作業は、実写をやってきた人なら間違いなく楽しい工程だと思います。是非この機会に、実写合成の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。
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Ray Wakui@
1993年生まれ。映像ディレクター・VFXアーティスト。東京大学、同大学院卒業。在学中は航空宇宙工学を学ぶ。 大学時代にネットで募集したメンバーとバンドを組む。そのバンドのMVを自主制作したのが映像制作のきっかけ。 2019年末、昔から憧れだった3DCGを...
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